「学生との対話」 by小林秀雄
小林秀雄の『学生との対話』、すでに持っていたのだが、文庫本が出たときに、間違って買ってしまった。
2014年3月刊で、文庫本は2017年の刊行。
国民文化研究会 , 新潮社 (編集)
内容(「BOOK」データベースより)
【目次】
はじめに講義 文学の雑感
講義 信ずることと知ること
講義 「現代思想について」後の学生との対話
講義 「常識について」後の学生との対話
講義 「文学の雑感」後の学生との対話
講義 「信ずることと考えること」後の学生との対話
講義 「感想―本居宣長をめぐって―」後の学生との対話
信ずることと知ること
小林秀雄先生と学生たち 國武忠彦
問うことと答えること 池田雅延
小林秀雄(1902-1983)
東京生れ。東京帝大仏文科卒。1929(昭和4)年、「様々なる意匠」が「改造」誌の懸賞評論二席入選。以後、「アシルと亀の子」はじめ、独創的な批評活動に入り、『私小説論』『ドストエフスキイの生活』等を刊行。戦中は「無常という事」以下、古典に関する随想を手がけ、終戦の翌年「モオツァルト」を発表。1967年、文化勲章受章。連載11年に及ぶ晩年の大作『本居宣長』(1977年刊)で日本文学大賞受賞。2002(平成14)年から2005年にかけて、新字体新かなづかい、脚注付きの全集『小林秀雄全作品』(全28集、別巻4 )が刊行された。
それでは丁寧に読み返してみましょうか・・・
講義 [文学の雑感]
(新潮文庫 p13-32)昔の学者は本を出すために金をためた。
花の姿や言葉の意味が正確に分からないと、歌の味わいは分かりません。
山桜は必ず花と葉が一緒に出る。
「匂う」はもともと「色が染まる」ということ。
宣長さんの頃は、日本で桜についての学問(実地の学)も教養も一番高度の発達していた時。
「大和心」
平安朝の文学に初めて出てきて、それ以後なくなってしまった言葉。
大和魂、大和心・・おそらく両方とも女の言葉であっただろう
『源氏物語』(源氏→息子夕霧) 大和魂(生活的な知恵、生きた知恵、常識)をこの世で働かせるためにはやはり根底に才(ざえ)= 学問)があるほうがよろしかろう。
文章博士大江匡衡の女房赤染衛門「大和心」(頑な知識と反対の、柔和な知恵)
宣長の尊敬していた契沖の『勢語臆談』
業平の辞世の歌を大変ほめている。人々は死なんとする時、悟りを開いたような偽りの歌を詠みたがるものだが、これは真実正直な歌。「やまとだましいなる人(人間のことをよく知った優しい正直な人、「もののあはれ」を知った人)は、法師ながらかくこそ有りけれ」
男は学問にかまけて、大和心をなくしてしまった。
日本は大昔から、いつでも学問が外からやって来た。
自分には学問がなかったので、外から高級な学問が押し寄せてきて、これに応接しなければならなかった。
日本人はいつも漢文で出来上がった学問と闘わねば戦わねばならない国民なのです。
『古事記』という日本最初の国文も、漢文との闘いによって書かれた。このことを初めてはっきり言ったがの宣長でした。(p22)
漢文の訓読という方法・・中国の知識人の漢文を、日本人は翻訳しながら読んだ。
読む苦心が宣長の『古事記伝』の苦心だった。
宣長の歴史観で一番大切なところは、ある国の歴史はその国の言語と話すことができないという考え。
宣長の学問は、慎重着実であるが、研究の対象が歴史と言語にあるので、自然科学のように実証主義をどこまでも貫くというわけにはいかない。
『古事記伝』は、直観と想像力の力が大きな働きをなしている。 (p25)
宣長の読みからは一つの発見であり、一つの創作。
宣長の学問を平田篤胤がついでこれを発展させようとしたが、非常に文学から遠ざかった人で、その後ご維新が近づき国学の影響が現れ、武士道と大和魂が結びつく。
大和心と武士道は何ら直接の縁はない。
「もののあはれ」を知るとは、世の中の味わいというものを解する心をいうので、少しもセンチメンタルな心ではない。
「もののあはれ」を知りすごすことはセンチメンタルなことですが、「もののあはれ:」を知るということは少しも感情に溺れることではないのです。柔軟な認識なのです。(p26)
宣長の学問の目的は、古えの手ぶり口ぶりを目の当たりに見聞きできるようになるという、そのことだった。
歴史を知るということは、みな現在のこと。
「歴史は現代史である」 byクローチェ
歴史という学問は自己を知るための一つの手段
歴史は自然ではない。
本当の歴史家は。研究そのものが常に人間の思想、人間の精神に向けられる。
「事」(コト)と「意」(ココロ)と「言」(コト)、この三つは相称(あいかな)うものである。(by宣長『古事記伝』)
歴史は決して出来事の連続ではありません。出来事を調べるのは科学です。けれども歴史家は人間が出来事をどういう風に経験しタカ、その出来事にどのような意味あいを認めてきたかという、人間の精神なり、思想を扱うのです。(p30)
『古事記』は歴史の形式をとった神話。古人の思想であり、古意。
神を信じ、神を祀るというコンディションの中に人間が生活していた『古事記』はその正直な記録であり、宣長は『古事記』をそのまま信じた。この点で宣長ほど徹底した歴史家はいません。
宣長は、歴史の根底には文学があると考えた。歴史の根底には、自然科学者が考えている事実などありはしないのです。事実は自然にしかありません。歴史は人間の心なのです。
科学というものは個性をどうすることもできない。しかし、僕らの本当の経験というものは常に個性に密着しているのではないか。
個性に密着しても僕は生物たることを止(や)めやしない。
歴史の中には抽象的なものも入ってくるし、自然も入ってきます。しかしそれは歴史の一部です。(p32)
昭和45年8月9日 全国学生青年合宿教室 於・長崎県雲仙 小林秀雄68歳
講義 [文学の雑感]後の学生との対話
(新潮文庫 p101-125)
神・・「とうとうわからなかった」(by本居宣長)」
「日本の神というのは、何か優れた、恐るべき能力を持ったもの。それはどんな形をとっていてもいい。」古人が信じた神秘的なものを、「それはもっともなことである」と信じた。(p101)
道(理屈めいたもの)というものを知りながら、道らしいことを全然説かずに暮らしている。宣長さんは、『古事記』を深く読み、日本を愛したのだ、しかし、国粋主義者ではない。僕たちは宿命として日本人に生まれてきた。日本人は日本人の伝統というものの中に入ってものを考え、行いをしないと、本当のことはできやしない。あの人は、伝統の中に深く入っていくことが、そのまま普遍に向かって開くことだと承知していた。 (p105)
宣長さんは、〈もののあはれ〉について、<知る>といっています。
あはれを〈感じる〉のではないのですね。感情が動くだけではしょうがないのです。その意味合いを味わうことこそが大切であり、それが知るということなのです。
〈あはれ〉を知る、ということは、行動ではないのですよ。ものを見ること、知る事、つまり認識です。(p107)
歴史家とは、過去を研究するのではない。過去をうまくよみがえらせた人を歴史家というのです。歴史家には二つ、術が要る。一つは調べる方の術。そして調べた結果を、現代の自分がどういう関心を持って迎えるかという術です。
歴史は常に主観的です。主観的でなければ客観的にはならないのです。(p110)
クローチェが「歴史は現代史である」といった意味はそこにある。ヘーゲルなんかよりずっと徹底している。
君が自分を知りたいときも、直接には君自身を知ることはできないのです。直接自分を知るなんて、そんなのは空想ではないかな。(p111)
織田信長という人間の性格は、『信長公記』という本を読めば、理解できる。君が読み終わって、「ああ、信長ってやつはこんなやつか」と思ったのなら、、「俺は信長ってやつに興味を抱いているな」とわかる、。あるいは、いやな奴だと思うかもしれない。すると、「信長を嫌うものが自分の中にあるな」とわかります。それこそは君、自分を知る事ではないか、(p112)
平常心、平生の気持ち、日本に生まれ、日本語を使っている人種。非常に大事なコンディション。そのコンディションを離れて、別のなにかにすがっても立派なことはできないのだ。国際主義でも国粋主義でもない。
天皇制を現代人としてどう考えたらいいか、なんて質問には、僕は答えないのです。そういう軽薄なる質問にはな。(p119)
無私というのは、得ようとしなければ得られないものです。客観的と無私とは違うのです。
君は客観的にはなれるが、無私にはなかなかなれない。自分で自分を表わそうと思って表わしている奴は気違いです。自己を主張しようとしている人間は、みな狂的です。(p121)
物を本当に知るのは科学ではない、物の法則を知るのが科学です。科学は僕らの生活経験の認識を目指しているのではない。(p122)
そっちとあっちとの関係を知るだけで、物を知ることはできやしません。
僕らの認識は僕らの生活を決して便利にはしてくれません、だけど、僕らの生活を生活しがいのあるものにするのは、認識です。(p124)
人生というのは、大きな芝居みたいなところがありますが、僕らは芝居の中に入って、自分も俳優になろうとします。それが人生だよ。そしてそこで働くものが認識なのです。それが<もののあはれ>を知る事なのです。そこで働く知恵こそが、具体的な知恵なのです。科学はその手助けをするだけですよ。僕らは、その手助けを大いに利用すればいい。(P124)
本当の認識の道というのは、本当の歴史家になることです。そうすれば、自己を知るようになります。(p125)
(続く20210913)
小林秀雄を読むのは一仕事である。
私の読書は初期(ランボーなどのフランス文学)~戦中(西行などの中世日本文学)の小林秀雄で止まっている感じである・・本居宣長には興味が薄かった・・
しばし、折りを見てここで付き合おうと思う。・・・
(2012)小林秀雄没後30周年
講義 信ずることと知ること