- byM's Bookshelf 2021 -

「学生との対話」 by小林秀雄

小林秀雄の『学生との対話』 国民文化研究会 , 新潮社 (編集)

【目次】

はじめに
講義 文学の雑感
講義 信ずることと知ること
講義 「現代思想について」後の学生との対話
講義 「常識について」後の学生との対話
講義 「文学の雑感」後の学生との対話
講義 「信ずることと考えること」後の学生との対話
講義 「感想―本居宣長をめぐって―」後の学生との対話
信ずることと知ること
小林秀雄先生と学生たち 國武忠彦
問うことと答えること 池田雅延

 

それでは読み返し・・その2・・・

講義 信ずることと知ること

(新潮文庫 p33-56)

ちょうど大学に入った時分、ベルグソンの念力に関する文章を読んだ。(1913の講演・・ベルグソン集第5巻『精神のエネルギー』所収)
「精神感応(テレパシー)」
経験の生々しい具体性、具体的事実。
科学的(合理的)経験というものと僕らの経験というものとは全然違うもの。
われわれの生活上のほとんどすべての経験は合理的ではない。その中に感情も、イマジネーションも、道徳的な経験も、いろんなものが入っている。

科学は 広大な経験の領域を、計量できる経験にだけに絞った。(p38)
法則にしたがう経験だけに人間の経験を狭めた。

精神というものは計れない。 科学は君の悲しみを計算することはできないだろう。だから科学は、人間の精神というものを、人間の脳に置きかえた。
ベルグソンは、長いこと信じられていたこの脳と精神との平行関係を、初めから疑わしいものと思っていた。
脳髄の運動と精神の運動が、同じものの二つの表現ならば、表現はたった一つでいいわけだという。それで彼は記憶の研究に入っていった。人間の言葉の記憶というものが、脳髄のある一箇所にあることが分かったから。彼は失語症の研究を長い間した。そうしてあの人は天才的な発見をした。

言語中枢を傷つけられと失語症になる。
人間は記憶を傷つけられるのではなく、 記憶を感知する装置が傷つけられる。棒らの脳髄はパントマイムの器官。台詞が記憶。

ベルグソンは、人間の脳髄は現実生活に対する注意の器官であると書いている。注意の器官だが意識の器官ではない。
人間にとって忘れることくらいむずかしいことはない。(p41)
人間は脳髄というものを持っているお陰で、いつも必要な記憶だけを思い出すようになっている。意識しているということは、この世の中にうまく行動するための意識。記憶と脳髄の運動というものは、並行していない、お互いに独立している。

科学の方法・・・行動の上において、非常な進歩をした。けれども僕らが生きてゆくてための知恵というものは、どれだけ進歩していますか。
科学というものは人間の思いついた一つの能力に過ぎない。

柳田國男『故郷七十年』(83才の時の口述筆記)1
14の時の思い出話。旧家の土蔵の前の死んだおばぁさんを祀ってある祠。中に握り拳位の大きさの蠟石い収まっていたのを見た。
非常に美しい玉。をれを見た時、不思議な、実に奇妙な感じに襲われたと言う。それで、そこにしゃがみこんでしまって、ふと空を見た。実によく晴れた春の空で、真っ青な空にいっぱい星が見えた。今頃こんな星があるはずはない。
その時鵯(ひよどり)が高い空でぴいっと鳴いた。その声を聞いたときにぞっとして我に帰った。もし鵯が鳴かなかった、私は発狂していただろう。(p46)

民俗学も一つの学問だけれども、科学ではありません。
少年が玉を見て、怪しい気持になったのは、その玉の中に宿ったおばあさんの魂が見えたから。何でもないことです。だから柳田さんは、馬鹿々々しい話ならたくさんございますよといってそういう話を書いている。馬鹿々々しいから嘘ということはありません。(p47)
諸君はみな自分の親しい人の魂をもって生きています。死んだおばあさんを懐かしく思い出す時に、諸君の心にそれはやってきます。
それが、昔の人がしかと体験していた魂です。それは生活の苦労と同じくらい平凡なことで、また同じくらいリアルなことです。柳田さんはこういう思想を持っているから民俗学ができるのです。

柳田國男「山の人生」 Amazon

信ずるということは、諸君が諸君流に信ずることです。知るということは、万人の如く知るということです。
人間にはこの二つの道がある。知るということは、いつでも学問的に知ることです。僕は知っても、諸君は知らない。そんな知り方をしてはいけない、
しかし、 信ずるのは僕が信ずるのであって、諸君の信ずるところとは違う。信ずるということは、責任を取るとことです。(p50)

本居宣長を読んでいると、、彼は「物知り人」というものを実に嫌っている。(今日の言葉でいうとインテリ)
ジャーナリズムというものは、インテリの言葉しか載っていない。あんなところに日本の文化あると思ってはいけませんよ。(p51)

考えるという言葉についての宣長の考え。
「考える」の古い形は「かむかふ」。
「か」・・・特別の意味のないことば
「む」・・・=み=自分の身
「かふ」・・・「交わる」
だから考えるということは、自分が身を以て相手と交わるということ。
宣長の言によると、考えるとはつきあうという意味。
考えるとは、対象と私とが、ある親密な関係に入り込むということ。人間について考えるということは、その人と交わるということ。
そうすると、信ずるということが考えるというは大変近くなってくる・
万人のように考えるとは、ある共通な方法というものがあって、その方法に従って対象をいろいろに吟味するということ。今の学問的に考えるとはそういうこと。それと、信ずるということは大変違います。

この語義解釈はどうなのだろう。まず、(旺文社高校基礎古語辞典) だが、考えるは「かむがふ」。濁点あり。

かんがふ(考ふ・堪ふ)
「かむがふ」の転

ついで、白川静『字訓』(古語辞典)
宣長がスルーした「か」を解釈するほか、「む」と「かふ」にわけていない。濁点あり。以下の通り。

かむがふ【考・校・稽・験】
両者を比較しながら、その長短を察するこ。
事の真偽を調べることが、古い語義であった。
「か」は「すみか」「ありか」の「か」で、特定の場所を意味する
「むかふ」は「向ふ」「對(対)ふ」、両者を合わせて比較することをいう。

宣長のやったことは文献学。(古学)人間の表現についての学問。だから要するに人間を考えるということ。 (p53)

熟知という言葉。
観察するとか、解釈するとかいう時には一つの観点というものがいります。ある観点に立って、そこから観察する。しかし本当に知るためには、そんな観点などみないらなくならなければだめです。

「人間は考える葦である」(パスカル)
人間は葦のごとく弱い存在だが、そういう人間の分際というものを忘れずにものを考えなければならぬというのが真意。 

人間は抽象的に考えるという時には、人間であることをやめます。自分の感情に従うという弱い状態を忘れます、けれども、人間が人間の分際をそのまま持って相手を考えるという時には、その人と交わるということになりはしないか。(p54)

歴史を知るということは、みな現在のこと。
「歴史は現代史である」 byクローチェ
歴史という学問は自己を知るための一つの手段

子を見ること親に如(し)かず。
母親というものは子供を見るのに観点をいうものをもっていない。
子どもの内部に入り込む直感を重ねる。
感応・千里眼。(p54)

昭和49(1974)年8月5日  於・鹿児島県霧島 小林秀雄72歳

講義 「信ずることと知ること」後の学生との対話

(新潮文庫 p126-143)


考えるということは、自分が身を以て相手と交わるということ。宣長さんによれば考えるということはつきあうということ。
物事を抽象的に考える時、その人は人間であることをやめている。


「人間はどうして言葉を筆長とするのでしょう」
(聖書)人間が楽園を追われたのは言葉を得たから。 (p130)
言葉ぐらい人間を助けてくれるものはないけれど、こういう便利なものはいつでも人間を迷わします。人間は助けてくれるものの虜(とりこ)になる。
人間は、自分の得意なところで誤ります。言葉もそれと同じ。あまりに使いやすい道具というのは、手を傷つける。

 

宣長には神学というものを要らなかった。神学というのは外国では実に大きなシステム。しかし、宣長さんには神学などというものは要らなかった。生きた信仰、つまり人間の宗教的な経験がありさえすれば足りた。
宣長さんは、『古事記』に現われた神話をそのまま忠実に読んでみて、古人がどういうふうな神様の信じ方をしたか、だんだんと明瞭にしていきました。
古人には、ただ信仰があった。その信仰は、みんな個人個人の別々のものであった。

別々の信仰で、彼らは安心していた。なぜかといえば、<日本人>という民族の統一感というものがあったから。(p134)
神は非常に個人的経験を通じて経験される。
知恵より経験の方が先にある。理窟はあとからついたのだというのが宣長さんの言っている意味です。
宣長さんの、<惟神(かむながら)>とは、きわめて健全な神と人間の交渉のしかたを言っている。
神話や教条というものはまだ存在していない。


『古事記伝』を読んで「あ、これならわかる」と僕は思った。僕はキリスト要というのはわからない。(p135)
僕がドストエフスキー論をとうとう駄目にしたのは、キリスト教がどうしてもわからなかったからです。

子供は学ぶものだ、子供に対して少し恥じればいい。

歴史は流行っている。この風潮で悪い点が二つある。
一つは何でもロマンチックにしてしまう歴史観、、要するに大衆小説的歴史観。
よく史料を読めば、秀吉という人は現代の俳優なんかが演じられるような男ではないよ。
もう一つ、考古学的歴史観もよくない。新井白石がこの頃評判いいのは、<本当はこうだった>という歴史をやったから。
歴史とは、みんなが信じたものです。昔の人が信じたとおりに信ずることができなければ、歴史なんて読まない方がいい。
クローチェは「どんな歴史も現代史なのだ」といっている。昔は歴史のことを鏡といった。鏡の中には君自身が映るのです。歴史を読んで、自己を発見できないような歴史ではだめです。
歴史は詮索するものではない。まず共感しなければいけないものだ。共感するときにh、あ<あはれ・を感じるでしょう、<あはれ>を感じるというのはどういう心だ?
それはイマジネ―ションが働いているということだ。(カントの言う、先見的イマジネーション)
こういうイマジネーションは非常に重要で、理性よりもっと大きいもの。
日本語には<心眼>という非常に面白い言葉あるじゃないか。
ベルグソンは、人間は目があるから見えるのではなく、目があるにもあかかわらず見えているのだと言っているよ。(p141)
肉眼の中に心眼が宿っている。

柳田さんの本当の弟子は折口信夫さんぐらいのもの。「遠野物語」を上野の公衆電話の下にしゃがみこんで、その明かりで読んだ話。それを読むと、ははぁ、どうもこれは非常に才能のある人と才能のある人の出会いだなと、ただ感心するほかない。

僕ら凡人は、俺には感受性がないんじゃないか、そんな余計なことを考えちゃいけない。
感受性を、学問で、あるいは生意気な心で、傲慢な心で、隠してはいけない。感受性は、傲慢な心さえなければ、どんどん育つのです。そういう風に考えた方がいい。

(1875—1962)

講義 文学の雑感

» Back to Top
first updated 2021 04; lastModified: 2021年