「無常という事」 by小林秀雄
小林秀雄の全集(上より古い第4次全集)1~4巻と別巻は買ったが、以降は文庫本があるので、それにして、作品は網羅しているつもりだが、全集で揃えていないのだが・・
見ると、1961(昭和36)年5月発行の『無常という事』文庫本は2冊あった。
1983(昭和58)年の39刷モノの紙の黄ばみは、今や半端ない・・。
もう一冊のは、2010(平成22)年の82刷。平成18年の改版で、文字が大きく行間スペースも大きくなって読みやすくなってました。(1行43字×18行を38字×16行)
新しい「全集」(第5次)も、2001年の刊なので20年たっていますね。来年で没後40年ですか・・。
今『無常という事』を読むために買うなら、2003年の「全作品:」でよさそう。※
(「第六次小林秀雄全集」ともいうそうだ。)
縦19センチ横13センチほどの、小型で(四六判?)、箱などもなく、安価。
もう少しそのあたりを見てから、本題に入りたい。
https://www.shinchosha.co.jp/zenshu/kobayashi/monogatari.html
上の「小林秀雄全集物語」(by新潮社)というページを発見。
”小林秀雄の全集は、過去、いずれも著者の生前、四度にわたって刊行されている。文学者の個人全集が、計四度、それもすべて著者の在世中に刊行されたということ自体、すでにして稀有の出来事である。”・・・(・_・フムフム。
https://www.shinchosha.co.jp/zenshu/kobayashi_hideo/
『(第5次)小林秀雄全集』(全14巻/別巻2/補巻3)の
別巻Ⅰは封印されたはずの「ベルグゾン論」で、、別巻Ⅱは、「小林秀雄、人と作品――随想・追想23篇。併せて年譜・解題・索引他。」
「本人が努めて忘れようとし隠そうとしたことを詮索する」という事は、西行論で、「何が得られるものではない」遺憾イカンとか言っていたが、そうはいっても興味は持っていしまいますね。
ちなみに本居宣長論も「もう、終いにする」。
『小林秀雄全作品集』(新潮社、全28巻別巻4)
は、第5次全集の1巻を2分したモノのようで、
別巻は「感想」(ベルグゾン論 上・下)と「無私を得る道」(上・下)で、見ると、
別巻4の、年譜のある「無私を得る道」(下)(2005年刊)のみ、持っていた。吉田熈生さんは2000年に亡くなっているので、新潮社補填とある。(wikipediaよしだひろお)
(「BOOK」データベースより)
(Amazonの紹介より)
【目次】 モオツァルト 当麻 徒然草 無常という事 西行 実朝 平家物語 蘇我馬子の墓 鉄斎I 鉄斎II 鉄斎III 光悦と宗達 雪舟 偶像崇拝 骨董 真贋
注解 解説 江藤淳
【本書収録「モオツァルト」冒頭】 エッケルマンによれば、ゲエテは、モオツァルトに就いて一風変った考え方をしていたそうである。如何にも美しく、親しみ易く、誰でも真似したがるが、一人として成功しなかった。幾時(いつ)か誰かが成功するかも知れぬという様な事さえ考えられぬ。元来がそういう仕組に出来上っている音楽だからだ。はっきり言って了(しま)えば、人間どもをからかう為に、悪魔が発明した音楽だと言うのである。…… ※エッケルマン…ゲーテ晩年の秘書。1792~1854年。「ゲーテとの対話」によってゲーテの日常と言動を後世に伝えた。
小林秀雄(1902-1983) 東京生れ。東京帝大仏文科卒。1929(昭和4)年、「様々なる意匠」が「改造」誌の懸賞評論二席入選。以後、「アシルと亀の子」はじめ、独創的な批評活動に入り、『私小説論』『ドストエフスキイの生活』等を刊行。戦中は「無常という事」以下、古典に関する随想を手がけ、終戦の翌年「モオツァルト」を発表。1967年、文化勲章受章。連載11年に及ぶ晩年の大作『本居宣長』(1977年刊)で日本文学大賞受賞。2002(平成14)年から2005年にかけて、新字体新かなづかい、脚注付きの全集『小林秀雄全作品』(全28集、別巻4 )が刊行された。