『十八世紀京都画壇 蕭白、若冲、応挙たちの世界』を読む
2022年1月
カバー裏の惹句
十八世紀の京都には、まったく新しい、
奇抜な表現をする画家たちがひしめいていた。
形に拘らない自由な発想は市民を魅了し、
封建社会において精神の開放の一助となった。
池大河・与謝蕪村の南画、丸山応挙の写生画法。
「奇」では収まらない曽我蕭白の前衛性、若冲の不可思議―。
個性的すぎる芸術家たちの、都に残した足跡を振り返る。
辻 惟雄著 『十八世紀京都画壇』
wikipediaでの紹介
辻 惟雄(つじ のぶお、1932年6月22日- )。
愛知県名古屋市生まれ。専門は日本美術史。東京大学名誉教授、多摩美術大学名誉教授
[著書『奇想の系譜』などで、従来の美術史ではあまり評価されていなかった岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曾我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳などを「奇想の画家たち」として取り上げたことで江戸絵画の再評価を促し、日本の美術史に大きな影響を与え、特に1990年代以降の若冲ブームの立役者となった。
日本美術の時代や分野を通底する特質として、「かざり」「あそび」「アニミズム」の3つを挙げている。}
読み通すのは、短時間・一筋縄でいかないので、
今回は、今年2022年の干支の虎関連で先日見た、
・・・「長沢芦雪―画家のウイット」・・・第7章の芦雪の部分中心で、まずは、別に、以下、芦雪についてみていたことの再掲。
長沢蘆雪「虎図襖」(部分)重要文化財 江戸時代・天明6(1786)年 襖6面 紙本墨画 右2面 各180×87cm、左4面 各183.5×115.5cm 無量寺
大きく見たい無量寺の「虎図襖」ですが、wikipediaの画像が何故か小さい・・その分は(公式サイト)で! このお寺はJR串本駅から歩いて12分とは、私 向きですね。行きます!
ところで、いやぁ、こちらのサイト(「和楽WEB」)から引用させていただくが、以下驚いた~。
”長南紀・串本の無量寺(むりょうじ)にある水墨の襖絵「虎図」。実は、この絵に蘆雪はひとつの謎掛けをしているのです。襖に描かれた虎をよく見ると、尻尾は異様に長く顔もどこか猫っぽい。実はこの襖絵の裏面には、水中の魚に飛びかかろうとしている猫の姿が描かれているのですが、その猫が表の虎の真の姿という見立て。つまり表の虎は魚の目線で見た大きな猫ですよ、というオチ。”
いろいろ魅力的な虎図・・続けて本で見よう!
‥と思ったら、何かイロイロ、グッズもあるよ~~(笑)
『 かわいい こわい おもしろい 長沢芦雪』
岡田秀之解説 新潮社とんぼの本(2017)
内容(「BOOK」データベースより)
十八世紀の京都には、まったく新しい、奇抜な表現をする画家たちがひしめいていた。形にこだわらない自由な発想は市民を魅了し、封建社会において精神の解放の一助となった。池大雅・与謝蕪村の南画、円山応挙の写生画法。「奇」では収まらない曾我蕭白の前衛性、若冲の不可思議―。個性的過ぎる芸術家たちの、みやこに遺した足跡を振り返る。
著者について
一九三二年愛知県生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。東京大学大学院博士課程中退。美術史家。東北大学教授、東京大学教授、多摩美術大学学長、千葉市美術館館長、MIHO MUSEUM館長などを歴任。現在、東京大学、多摩美術大学名誉教授、MIHO MUSEUM顧問。
主な著書に、『奇想の系譜』『奇想の図譜』(ともにちくま学芸文庫)、『日本美術の歴史』(東京大学出版会)、『奇想の発見:ある美術史家の回想』(新潮社)、『辻惟雄集』(岩波書店、全六巻)、『若冲』(講談社学術文庫)ほか。
概説@Amazonを以下引用
蕪村や応挙、若冲、蘆雪に蕭白。ほぼ同時期、同じ地に豊かな才能が輩出した。旧来の手法から抜けだし、己の個性を恃んで、奔放に新しい表現を打ちだす。十八世紀の京都は、まさにルネサンスの地であった。「奇想」の美術史家・辻惟雄は、彼らの作品に向き合い、多数の論考を遺している。それらを抜粋し、作品の解釈から時代背景や人物像にも迫ってゆく。あの時代の京都を、彩りをもって甦らせる試みである。
蕪村や応挙、若冲、さらに蘆雪に蕭白。ほぼ同時期、同じ地に豊かな才能が輩出した。彼らは旧来の手法から抜けだし、己の個性を恃んで、奔放に新しい表現を打ちだす。多士済々、百花繚乱。十八世紀の京都は、まさにルネサンスの地であった。「奇想」の美術史家・辻惟雄は、彼らの作品に向き合い、多数の論考を遺している。それらを抜粋し、作品の解釈から時代背景や人物像にも迫ってゆく。あの時代の京都を、彩りをもって甦らせる試みである。
カバー袖のまとめ【本書の内容】
十八世紀京都画壇総論
日本文人画の成立―中国から日本へ
池大雅―南画の大成
与謝蕪村―翔けめぐるマルティ芸術家の創意(おもい)
応挙と円山派―巨匠の「写生」と「異常」
伊藤若冲―不思議世界のリアリティ
長沢芦雪―画家のウィット
曽我蕭白―狂躁と逸格
第七章 長沢芦雪―画家のウィット
海外でもてはやされる芦雪 (ろせつ)
「遊戯精神」すなわち洗練されたウィットを、同時代の都市住民の趣向に応えたものという観点で述べてみたい。(p162)
独眼流の視覚
・芦雪独眼説
伝説は事実より重要だと小林秀雄は語った。(p164)
・毒殺説
平賀源内に似たところもある才気煥発の鋭角的器用人(p165)
応挙と芦雪
丸山応挙 <まじめでオードドックス>なタイプ、類まれな巨匠
応挙「秋冬山水図屏風・・木立の空気遠近法的な捉え型→芦雪の「宮島八景図」の墨のぼかしによる木立のシルエット、「月夜山水図」の月光の表現→広重の風景画のおぼろ月夜
のシルエットに伝播
応挙「富士浜松図屏風」に見る清新な空気の流れとその匂いの描写は、これらを抜いて、近代の印象派に直結さえするものである(p168)
「型」と「型破り」
「師の画風をあまりにも完璧に身につけすぎた器用さが仇となって、結局のところ、応挙という<水>をはなれることはできなかった。→
日本における文化遺産の継承の方法=「型」の伝授
中世から近世にかけての日本画の歴史は、「型」を作り出す画家、「型」を継承する画家、「型破り」の画家という三つの役割分担に寄っており無さ荒れてきた。
「型」がおおむねそれまでの遺産の総合、折衷によって作り上げられることは、応挙の仕事を見れば分かる。
美術の新しい様式は、例外なく先行する様式の中から生まれるものなのだ。(p169)
「型破り」はこれに対し、創始という旗印をはじめから降ろしてかかっている。
彼らは型からの離脱による様式の生命の再生を目指す。
日本美術の通時的な展開過程をたどるならば、それは中国美術という様式を「型」として継承するのでないく、「型」を破ることによって新しい様式を作り出してゆく過程そのものと言える。(p169)
それを仮に第二次の創造と呼ぶならば、日本美術における創造はまさしく第二次の創造であり、それは「型破り」のy素さんである、そして芦雪の仕事はその見事な典型なのである。
かたちの驚きと機知的解釈
芦雪が応挙から受け継いだ「型」の遺産を彼一流の機知と想像力でそのように「再創造」しているか、その良い例を無量寺の「取らず」に見よう。
応挙の「水呑虎」に比べると、猛獣の獰猛さや重量感には欠けるが、その代わり今にも画面から飛び出そうな動性にあふれれている。これは以前山川武氏が指摘したように、虎ではなく「虎もどきの猫」を最初から意図して描いたのだと思えてくる。
晩年のグロテスクへの傾斜
夏目漱石『草枕』・・「画家として余が頭の中に存在する媼さんの顔は高砂の媼(おうな)と、芦雪の書いた山姥のみである。芦雪の図を見た時、理想のばあさんはものすごいものだと感じた。紅葉のなかか、寒い月の下に置くべきものと考えた」
*
芦雪と白隠禅
白象黒牛図屏風(黒白大小図)
White Elephant and Black Bull, section one
寛政時代後期 between 1789 and 1801 155.3cm×359.0cm
長沢芦雪の落款と波涛図
松竹梅図(三幅対)
千葉市美術館蔵(‥とあるが、(p183) WEB上に見当たらない? さんぷくつい 20220117)ふしぎ?びっくり!ニッポン美術たんけん 日本図書センター (2014/)
日本美術の歴史 補訂版 – 2021/4/28
WEB検索長沢芦雪の落款と波涛図
first updated 20220117 lastModified: 2022年