『ガリレオの求職活動 ニュートンの家計簿』を読む
2022年初読書:芋蔓式読書
中公新書(2000刊)だから、気楽に、取り掛かれるでしょう。
(→講談社学術文庫に入っていました。2020年3月刊)
なんの本からの芋蔓式読書であったか?
中世史だと思ったが、15~17世紀だと、近世ですね・・
この2~3年行きたいと思っていたパドヴァ大学の関連からだったか?
パドヴァ大学は医学革命の中心地であったという。
主に、医学史部分の人名をチェックを以下で・・20220106
佐藤満彦著 『ガリレオの求職活動 ニュートンの家計簿 科学者たちの生活と仕事』
wikipediaでの紹介
佐藤 満彦(さとう みつひこ、昭和8年(1933年) - )は、山形県鶴岡市出身の、植物学者、理学博士、東京都立大学 理学部教授。
内容(「BOOK」データベースより)
「科学者」という職業が成立する一九世紀はじめまで、研究者の生活は厳しいものだった。パトロンを探しては売り込んだダ・ヴィンチ1452‐1519)、聖職を本業にしたコペルニクス(1473‐1543)…。求職、突然の解雇、ライバルとの学説論争、発明の先取権争い、師弟の確執。天才たちの波瀾万丈な生涯を通して、西洋科学の歴史を堪能する!
著者について
さとうみつひこ 1933年山形県鶴岡市生まれ。1956年、東京大学理学部植物学科卒業。62年、同大学院博士課程修了。64年、都立大学理学部生物学教室勤務、助教授、教授を経て、97年定年退職後、非常勤講師に。専攻:植物生理生化学。 著書『”放射能”は怖いのか 放射線生物学の基礎』(2001 文藝春秋)『科学好事家列伝』(2006 リフレ出版)など。2011年没。
概説@Amazonを以下引用
科学史に残るすべての発見は、科学者たちの営々たる努力の賜物といえます。
しかしその業績は知られても、彼らの人となりは、なかなか表に出てきません。
中でも16世紀から17世紀初頭、「科学者という職業」がまだ存在しなかった頃、
天才科学者といえども暮らしは楽ではありませんでした。
パトロンを探しては自薦状で売り込んだダ・ヴィンチ(1452-1519)やガリレオ(1564-1642)、医師と聖職を副業にしたコペルニクス(1473-1543)、放浪の科学者という異名をとったパラケルスス(1493-1541)……。
17世紀に入り、パトロンの庇護性が薄れてくると、莫大な遺産で暮らしたネーピア(1550 -1617)や旧貴族に生まれたデカルト(1596-1650)といった好事家貴族や資産家研究者が目立つようになるものの、
発明権利の先取権争い、師弟の確執、学者同士の決闘など、研究生活は想像以上に波乱に満ちていました。
本書は天文学、数学、物理、医学の分野で名を響かせた有名科学者たちの<生活の糧>を入り口に、
どんな家庭に生まれ、いかにして科学者の道に入ったのか?
パトロンとの関係は?
歴史の激流に飲まれた時、どう身を処したか?-ーなど、
科学者が職業人として市民権を獲得するまでの前史を、
業績ではなく、彼らの「人生」というユニークな視点から辿ります。
本書の原本は、2000年8月、中公新書より刊行されました。
カバー袖の惹句
遠くギリシャ人が先鞭をつけた自然研究の伝統は、十数世紀にわたる中断・停滞の後、ルネサンス期によみがえる。しかしその担い手となった天才たちは科学を職業とすることができたわけではなかった。
パトロンを求めて、自薦状をしたためたダ・ビンチやガレリオ、聖職者だったコペルニクス、放浪の旅をつづけたパラケルススら、現代につなががる科学の土台を築き、科学が自立する道を開いた先達の生活と仕事を描く。
【目次】
第Ⅰ部 パトロンに仕える科学者たち
第Ⅱ部 パトロンから独立する科学者たち
第Ⅲ部 職業科学者への道
第Ⅰ部の三 天文学の開拓者
1.3人の先駆者
2.コペルニクス(1473-1543)
3.ガレリオ・ガリレイ(1564‐1642)
4.ティコ・ブラーエ(1546‐1601)
5..ケプラー(1571‐1630)
第Ⅰ部の四 物理学の曙光
1.ステヴィン(1548‐1620)
2.ギルバート(1544‐1603)
第Ⅰ部の五 医学の世界
1.大学医学部の地位
2. ヴェサリウス(1514‐64)
3. パラケルスス(1493‐1541)
4.パレ(1510‐90)
5.ハーヴィ(1578‐1657)
パドヴァ大学は医学革命の中心地であったという。(p138)
16世紀に至って、パドヴァ大学の解剖学教室が、それまで1400年もの間、金科玉条と崇められ君臨してきたガレノス(129?‐199?)の学説にたちむかったという。
ヴェサリウス(1514‐64)が挙げられていた。
次いで パラケルスス(Paracelsus1493‐1541) 科学者たちがパトロンをもった時代の異彩を放つ独立独行の人という紹介(p165) あちこち放浪していたようだ・・1.血液は肝臓で絶えず新生される
2.心臓の役割は血液を送り出すことではなく、吸い込むことである、
3.右心室と左心室の間には細穴が多数あり、血液はここを通って前者から後者に移動する
4.空気中には精気8(ブノイマ)がふくまれており、それが肺から心臓に入り、そこで血液を浄化する。
パドヴァ大学 1222年9月29日に創立
イタリアで2番目に古い大学で(最古の大学はボローニャ大学)。(wikipedia)パドヴァの植物園は、大学付属で、1545年5月29日にヴェネツィア共和国議会により設立された世界遺産
ガレノス(Galenus) 2世紀
ローマ帝国時代のギリシャの医学者。古代における医学の集大成をなした。彼の学説はその後ルネサンスまでの1500年以上にわたり、ヨーロッパの医学およびイスラームの医学において支配的なものとなった(wikipedia)
ヴェサリウス(Vesalius)16世紀
アンドレアス・ヴェサリウス(Andreas Vesalius、1514- 1564 )は、人体解剖で最も影響力のある本『ファブリカ』(“De humani corporis fabrica”、人体の構造)の著者。(30歳で出版))現代人体解剖の創始者といわれる。ヴェサリウスは心臓は4つの室からなり、肝臓は2葉、そして血管の始まりは肝臓ではなく心臓であることに気付いた。人工呼吸を記載した初めての人物。
パラケルスス(Paracelsus)16世紀前半
(wikipedia)
当時の主流であったスコラ哲学的解釈に対して自然の直接の探求を主張し、大宇宙と小宇宙(人間)の照応を基盤とする統一的世界観を、崩壊した中世農民世界の断片から形成することを目指した。そのためあらゆる領域で従来の考えと戦わねばならず、彼の著作のほとんどは論争書となった。これまでの医学に化学を導入し、酸化鉄や水銀(梅毒の治療に使った)、アンチモン、鉛、銅、ヒ素などの金属の化合物を初めて医薬品に採用した。この業績から「医化学の祖」と呼ばれる。中世ドイツの神秘家が考えた魂の救済(=治癒)の計画を、具体物である人間の肉体に当てはめることで中世的なものと近代的なものを媒介した。パラケルススは大学での学問に失望し、各地を遍歴することでその地方に伝わる民間伝承から様々な事柄を学んだ方が有効だと考えた。
錬金術師としても高名。「毒性学の父」
パラケルススは常に剣あるいは杖を持っていたともいわれ、柄に「Azoth」と書かれていたため「アゾット剣」と呼ばれ、この剣(杖)には賢者の石が入っていたとも言われている。
Paracelsus' tomb(St. Sebastian Church, in Salzburg)
最後(第Ⅰ部のパトロンに仕える科学者たち)は、パレとハーヴィで
アンブロワーズ・パレは、ようやく、名前に心当たりがある(笑)
(1510‐90 近代的外科学を創設)
ハーヴィ(パドヴァ大学卒で、イギリス王室の侍医:王党派 1578-1657)
科学というものが新しいイデオロギーの担い手だけで進められてきたのではない、という冷厳な事実、
科学者の値打ちは、その政治行動や社会的発言より、自然に対する忠実度、この忠実性が裏打ちした批判力によって評価される。
アンブロワーズ・パレ 16世紀後半
アンブロワーズ・パレ(Ambroise Paré, 1510 - 1590)(wikipedia)は
、フランスの王室公式外科医。近代外科の発展において重要な功績を残した。医学史家から「優しい外科医」と評され、自身も「我包帯す、神、癒し賜う」 (Je le pansai, Dieu le guérit.) という言葉を残している。
ハーヴィ 17世紀前半
ウィリアム・ハーヴェイ William Harvey (1578-1657)(wikipedia)
1628年、血液循環説を発表
1651年公刊の『動物の発生』で彼はシカの交尾前後からの発生の段階を観察し、アリストテレスの『胎児は月経血から生じる』という説を否定した。
2022年に読んだ本一冊目・・として。
思い返すとこの本、発売されたときに、喧伝されていた覚えがある。20年前になるのですか?
今回、初読書:芋蔓式読書の一冊でここに。年頭に、
文系頭で科学を覗きます。
first updated 20220107; lastModified: 2022年