「数学する身体」
カバー袖の惹句:思考の道具として身体から生まれた数学。
身体を離れ、高度な抽象化の果てにある可能性とは?
音楽や美術のように、数学も表現の行為だ。
数学を通して「人間」に迫る、30歳、若き異能の躍動するデビュー作!
「数学を通して世界をわかりたい!」
人間が生み出す数学の道具は、時代や場所とともに 姿を変えてきた。
ものを数えるために使われた手足の指や、後に生まれた記号や計算・・・・
道具の変遷は数学者の行為を変え、記号化の徹底は抽象化を究めていく。
人工知能の誕生で、人間の思考は変貌を遂げるのか?
論考はチューリング、岡潔の二人に辿り着き、生成していく。
小林秀雄賞受賞の論考で、数学を通して「人間」に迫るという。
アラン・チューリング〈1912‐1954〉と岡潔(1901 - 1978)という性格も研究も思想もかけ離れた二人の数学者の共通点は、数学を通して、「心」の解明へと向かったことである、という。
チューリングは「間違う可能性」が、既存の機械と人の心を分かつ重要な能力である事に気づいた。(p184)チューリングは、心を作ることによって心を理解しようとし、岡潔は心になることによって心をわかろうとした。
刷りきれるほど読み返した岡潔『日本の心』に出会って以来、「実感の裏打ちされた言葉の底力」、「情緒の彩」岡は「情緒」という言葉に、新たな意味を吹き込もうとした。・・・・以下は目次読書
「数学する身体」
〇森田真生/wiki (1985年 - ) Amazon著書
〇岡潔/wiki(1901(明治34年 - 1978(昭和53年))Amazon著書
〇アラン・チューリング/wiki〈1912‐1954〉
*小林秀雄 『対話 人間の建設』 新潮社、1965年
目次読書
(各章のエピグラフ)
第一章 数学する身体
我々はあまりに数学の存在に慣れ過ぎていないであろうか。
そのために我々はややもすれば数学そのものの成立と
それの意義を観客していないであろうか。:下村寅太郎『科学史の哲学』p73
第二章 計算する機械
過去なしに出し抜けに存在する人というものはない。
その人とはその人の過去のことである。
その過去のエキス化が情緒である。
だから情緒の総和がその人である。:岡潔 『岡潔集 第4巻 「梅日和」
第三章 風景の始原
「「万葉」の歌人等は、
あの山の線や色合ひや質量に従って、
自分たちの感覚や思想を調整したであろう。:小林秀雄 「曽我馬子の墓」
第四章 零の場所
あゝ遂にお前を、
数学的発見それ自体を、
生きた肉体と共に捕へることができた。:岡潔『岡潔先生遺稿集 第三集』「H・Poincareの問題について」
終章 生成する風景
すべて私たちの探求の終わりは
出発の地に辿り着くこと
そしてその地を初めて知るのだ。:T・S・エリオット Little Giddingより
小林秀雄 『対話 人間の建設』 新潮社、1965年
全然勘違いの読後で申しわけないが、紀見峠の岡潔の生誕地後の碑を見に行こうと思った〈20170922〉
lastModified: 2017年