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『東方旅行記』を読む

The Travels of Sir John Mandeville

  (著)ジョン・マンデヴィル Sir John Mandeville(? - 1372年11月) ,
(翻訳)大場 正史(おおば まさふみ、1914年 - 1969年7月17日)=Wikipedia『千夜一夜物語』バートン版の単独訳で知られる。

Wikipediab0150527参照『東方旅行記』(とうほうりょこうき、The Travels of Sir John Mandeville)は、14世紀後半に成立した旅行記

内容(Wikipediaより)
『東方旅行記』(とうほうりょこうき、The Travels of Sir John Mandeville)は、14世紀後半に成立した旅行記


==以下引用===========
(Wikipedia『東方旅行記』の項20150527参照)
『東方旅行記』の内容は二部に分けることができる。
第1部ではコンスタンティノープルからはじまり、ビザンツ帝国の首都から南下して、キプロス、シリア、エルサレム、シナイ砂漠の修道院を訪れる。
第2部ではインド、中国からジャワやスマトラに向かう。ファンタジーの世界で描かれていて、首から上が犬になった女、双頭の雁、巨大なかたつむり、体全体を覆う程の巨大な一本足の人間、など現実には存在しないものが登場する。

マンデヴィルの旅行記の内容はいくつかの書物を典拠に旅物語風に編纂してできたものである。

ボーヴェのヴァンサンの百科全書『世界の鏡』、フランシスコ会修道士オドリコの旅行記、アルメニア王国のヘイトンの『東洋史の精華』などから引用されている。・・『東方旅行記』(大場正史訳)、291-292頁
そして、『世界の鏡』の中で引用されているフランシスコ会修道士プラノ・カルピニの報告書、大プリニウス、ソリヌス、ヒエロニムス、セビリャのイシドールスなどの文章、アレクサンドロス・ロマンスが孫引きされている。

【目次】

第1章 イングランド~コンスタンティノーブルへ行く道

パリ写本の第1ページ


http://www.europeanaregia.eu/

左上はマンデヴィルが著作しているところ。
右上は東洋のスルタンに拝謁
左右の下は、イポクラスの娘に対する伝説
(キャプション p4の白黒図)


第2章 わが主イエス・キリストの十字架と茨の冠

 

地面から天辺まで真直ぐにのびた柱は糸杉で、彼の両手が釘で打ちつけられた左右に突き出た木はヤシ、ほぞ穴をこしらえて大地に打ち込まれた土台の部分は杉で、頭上に掲げられたかきいたはオリーブの木で、それぞれ作られていた。


第3章 コンスタンティノーブル市。ギリシャ人の信仰。乾いた空気


第4章 使徒ヨハネ。竜になったイポクラスの娘


第5章 キプロスのいろいろ。キプロスからエルサレムへの道。砂利の多い墓穴の不思議な働き

サムソンの死(ガザ)・・白黒図(p25)

第6章 五つの王国を支配するスルタン。バビロンの島

バビロン(カイロ)のことばの乱れ・・白黒図(p33)

第7章 エジプトの国土。アラビアの不死鳥。カイロ市。芳香性樹脂(バルサム)を知り、これを証明する法。ヨセフの穀倉

獣の形をした怪物(p40)へそから上は人間の姿をし、その下は山羊のかっこうで、頭には二本の角をはやしていた

第8章 シチリア島。バビロンからシナイ山へ出る道。聖カタリナ教会。同地のあらゆる奇跡


第9章 聖カタリナ教会とエルサレムの間の砂漠。枯れた樹。ばらの花か世界で初めて誕生した話

 

ひとりの美しい乙女が姦淫の罪を犯したかどで、火焙の刑に処せられた。彼女はわが主に向かってどうか自分を救って、潔白なことを証明してくださいと祈った。・・火はたちまち消えて、燃え上がっていた薪は赤い薔薇に、まだ燃えていない薪は花をいっぱいつけた白薔薇に、変わってしまった。これが人間の目にとまった最初の薔薇であり、薔薇の花であった。(p56)


第10章 エルサレム参り。ゴルゴタの山。十字架と釘。付近の聖地

 聖ステパンの殉教(キリスト教の最初の殉教者)・・白黒図(p62)

第11章 ドミニ(わが主)の寺院。ヘロデ王の残酷物語。シオン山。ベテスダの池。シロアムの池

ヘロデ王の大虐殺・・白黒図(p68)

第12章 死海。ヨルダン河。洗礼者ヨハネの首。サマリア人の風習


第13章 ガリラヤ地方。反キリストの誕生地。ナザレ。飛び岩。聖母の年齢。伝書鳩。キリスト教諸派の異習


第14章 ダマスク市。エルサレムへ出る近道。悪人ばかりのダッタン国 


第15章 サラセン人の風俗と法律。スルタンと談話。マホメットの生い立ち


第16章 アルバニアとリビア。はいたかと願いごと。ノアの箱舟


第17章 ヨブの土地。彼の年齢。カルデアの住民の装い。男のいない、女だけの国。ダイヤモンドの知識と効能

エチオピアでは、いろいろ風変わりな人々がいる。たとえば、一本足の人間どもがいて、彼らはその一本足で、たまげるほどすばやく駆ける。それに、その足がまたとてもでっかいので、体全体を掩って日光をさえぎれるほどである。エチオピアでは、幼い子供は白髪で、年をとると、その髪毛が黒くなっていく。(p122)

注:この人間はスキアポド(影の足)と呼ばれるが、マンデヴィルの素晴らしい怪物集の中の第一号である。(p127)

マンデヴィルの旅行の範囲(図)p130-131


第18章 インド周辺の島々の風習。自然像と偶像の違い。一本の樹に三種の胡椒がなる話。一時間毎に匂いの変わる井水のふしぎな話


第19章 聖トマスの方手で裁決。カラミ市の偶像崇拝。この偶像のために自殺する人々


第20章 ラモリ島の悪習。大地と海はなぜ円いか。南極と呼ばれる星によって証明

ラモリ=スマトラ
人肉食・・他のどんな食物よりも人肉をこのんで食う(p149)

第21章 ジャヴァ島の王宮。あら粉と蜜と酒と毒がなる樹。その付近の島々のふしぎな話や異習

カラノックという島。ありとあらゆる海の魚が一年のある時期になると、次々と陸の近くで、また、陸の上で、横になる。三日間横になっているので、島民はその間、好きなだけ魚を捕まえる。
夫が亡くなると妻も一緒に生き埋めになる。
ナトゥメランという島の住民は、男も女も、犬のような頭を持ち、犬頭種族と呼ばれている。(p157)

第22章 偶像によって病人の生死を占う法。異形や奇形の人々。猿の類を信仰する僧侶たち。小人国

ドゥンデヤとよばれる島。 まるで巨人のような、見るからに怖ろしい醜怪な、一種の大男が住んでいる。彼らは目が一つで、おまけにその目は額のまん中についている。
頭のない、不気味な人間がいて、目は両方の肩につき、口は馬蹄のような形をして丸く、しかも、胸の真ん中についている。更に、別の島にも、やはり頭の無い人間が住み、両の目と口は彼らの方の後ろについている。 また、鼻も目もない、扁平な顔をした人間も他の島にいるが、彼らは目のかわりに、小さな二つの穴を持ち、平べったい口には、唇がない。
あるいはまた小人のような、背の低い人々が住んでいる島もある。(p167) もう一つの島には、耳がおそろしく長くて、ひざまで垂れ下がっている人々がいる。

第23章 シナの大汗。豪華な王宮。大汗の食事。彼に仕える多数の役人

イタリアから海陸11カ月もしくは12ヶ月の旅程が必要

第24章 なぜ大汗Great Caanとよばれるか。たばねた矢の教訓。彼の書簡の体裁。国璽と御璽の銘

ノアの洪水・・ノアの三人の息子の長男のセムは東方のアジア、ハムはアフリカ、ヤペテはヨーロッパをとった。(p188)「
ハムは勢力絶大・・ 大アジアに住むすべての人々がハムの末孫であることは確か。
しかし、カタイ(シナ)の皇帝はCaan と称し、ハムChamとはいわない。夢で白衣の騎士がそう(汗と)呼び、皇帝に推した。
蒙古人がふしぎに9という数字を重視したこと(p192)

第25章 宮廷風俗。大祝祭。大汗の哲人たち。巡幸の際の装い


第26章 シナに住むダッタン人の衣食住と迷信。大汗の葬儀と後継者の選び方


第27章 タルセ王国と北方の国々。蠅の多いコマニア。ヴォルガ川


第28章 ペルシャの皇帝。暗黒の土地。大汗に隷属するその他の王国


第29章 カタイ国の彼方にある国々や島々。ふしぎな果実。山の中にとじこめられたユダヤ族。怪鳥グリフィンの話


カディルへと呼ばれる王国には、ひょうたんのように大きな果実がない、熟したものを割ると、中に肉も血も骨もある獣が一匹はいっている。それはまるで毛のない子羊みだいである。
わたしは、自分の国では、ぺルナケ(黒がんBarnacle Goose)という鳥になる果実をつける樹木があると教えてやった。
バカリイの 国内には、他のどこの国にも見られないほど、たくさんのグリフィンがいて、ある人々の話では、前がライオンの形で、後ろが鷲のそれだというが、まさしくその通りである。けれどもグリフィンはそれらの国の八頭のライオンよりも強力で、百羽の鷲よりもさらに獰猛である。
グリふぉリンの足には、牛の角ほどもある、大きな長い爪が生えていて、驚くばかりにとがっているため、人々はその爪で水飲み用のコップをこしらえる

注:植物羊
これは裏返しにした 毛の多い羊歯の根茎と葉柄に他ならない。昔は、半獣半植物の生き物と考えられていたのである。(p231)

第30章 プレスター・ジョンの王国。ふしぎな城を作って、楽園と名づけたある富豪の話

砂ばかりの大海 頭に角を生やした野蛮人、生まれつきしゃべる鳥・・
注:プレスター・ジョンの偽作「書簡」(1165年頃流布)(p211)

第31章 危険な谷間の悪魔の首。プレスター・ジョンの支配下にある、いろいろな島民の風習  

注: 注 :バンヤンの「死の影の谷」(『天路歴程』)は多分マンディヴィルの「危険な谷」に基づいているかもしれない(p255)

背丈50フィートの巨人・・
その昔何人もの男が処女の破花のために死亡した、それというのは、処女たちは蛇を宿していて、それが処女の体内で新郎にかみつきそのために大勢の男が死んだから、彼らは自分でそんな冒険に走らないで、他人に露払いをさせる習俗を取り入れた。

第32章 婆羅門(ブラグマン)の島の善良な住民。アレクサンドロス大王。インド皇帝がプレスター・ジョンと呼ばれるわけ

砂漠には、<太陽と月の樹木>が生きていて、アレキサンドロス王に向かって言葉をかけ、彼の死期を予言したという。
住民はその果実や、同じくそこに生きている芳香性の植物などを食用とし、その果実と樹脂のおかげで、四百年または五百年も長生きするという。
またこの同じ島には、全身真っ白い像が生息しているが、一角獣はライオンやろソロしい獣がうようよしている。(p262)

第33章 金山を守る大蟻。地上の楽園と四つの大河  

タプロべイン島(セイロン)
彼方の東方、人の住む世界の果て。大地の起点に所在する楽園。噂によると、世界中で最高の鳥である。あまりに高いので、月の周辺に届かんばかりである。
楽園の周囲は壁ですっかり閉ざされているあ、その壁がなんでできているかは、だれにも分からない。
一面に苔生して、苔と灌木ですっかりおおい尽くされている。(p267)
楽園の真ん中にひとつの井戸があって、これから四つの河が流れ出て、様々な国土を貫流している・ガンジス河(ピソン=集合という意味)、ギオン(波乱という意味、エジプトを貫流する)、チグリス(急流 大アルメリアや南アジアを貫流)、ユーフラテス(豊作という意味)(p268)「

第34章 大汗の領内に住む王侯その他の習俗。死人の髑髏でコップを作る話。鳥葬。長い爪など

この私、ナイト爵のジョン・マンデヴィルは。 1332年に故国を出発したが、今や年齢や苦労や体力の衰えや、その他の理由で無力となって休養せざるを得なくなった。そこで、1366年本書を編んで書き記し、帰国の途中、ローマに立ち寄って、教皇に呈示した。
教皇は、彼の手元にあるラテン語の書物によってできた『世界地図』(マッパムンディ)を見せてくださって、私の書物をあらゆる点で裁可し、確認された。

注 この世界地図は、有名なHereford Mapのこと(p279)
マンデヴィルの怪物の大部分は同署の中に掲げられている(p279)

聖地・・白黒図(p280)

Hereford mappa mundi 14th cent repro IMG 3895.JPG
"Hereford mappa mundi 14th cent repro IMG 3895" by Bjoertvedt - Own work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons.

Mandeville 1499.gif
"Mandeville 1499" by The original uploader was ドイツ語版ウィキペディアOlaf Simonsさん - Transferred from de.wikipedia to Commons by Common Good using CommonsHelper.. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.

解説

準拠(p281)最も定評のある英訳 エガートン・テキスト(ハクルートHakluyt版 編者マルカム・レッツ)
時折コットン・テキストを参照して翻訳した。「東洋幻想曲」、半架空的な旅行記

典拠(p291-293)
マンデヴィルの『旅行記』はもちろん編纂ものである。そして、その主要な出典は、仏蘭西の学者ボヴェのヴァンサン(1264年没)の百科事典(『世界の鏡』)である。
フランチェスコ会修道士ジョン・デ・ピアノ・カルビーニの文章をふんだんに孫引きすることができた。(カルビーニは、1245年、教皇の命令で大汗への使節団長としてリヨンを出発し、アヴィニヨンにかえったのが47年。その見聞録はマルコ・ポーロ以前の、陸路による極東旅行の記録として最も貴重なものとされている。)
その他プリニウス、ソリヌス、ヒエロニムス、セヴィリヤのイシドルなどの引用文をはじめ、アレキサンドロスの伝説集、初期の動物物語集Bestiariesなどを大いに利用することができた。 マンデヴィルの典拠として 次に重要なのは、ポルデノネの修道士オドリコFriar Odoric of Pordenoneの『東洋紀行』
その著書をどの程度剽窃したかとなると、ちょっと信じられないくらいである。大半は、ときにはそっくりそのまま、借用したものである。
マンデヴィルは、オドリコはもちろん、その他の出典にしても、決して名前を挙げていない。
初期の編者たちは、マルコ・ポーロから出たものとしてはただの一節を挙げているにすぎない。(第18章オルムズの住民が首まで水中につかる話)
マンデヴィルがマルコ・ポーロについてそれだけしか知らなかったとは信じられない。 マルコ・ポーロの書物は大半同じ地域をあつかい、しかも、マンデヴィルが執筆にかかる前に、広く世に流布していたに違いないのである。
主要な話の対照表を作ってみた。縫い合わせた船、枯れ木、山の老人、韃靼人の話、大汗の宮廷など(21)の話は、踊り子にもあれば、マルコ・ポーロにもあちゃんと出ている。
マンデヴィルが本当にエジプトを訪れたことがあるかないかの難問題・・・

nekoatama東洋文庫で読了した。1964年の刊で、図が白黒で、あまり内容そのものに即したものでないものがわずかしかなかったが、書誌目録参考文献目録は22ページもあった。それらの「学究的な、興味深い論説」を、これほどしっかり読まれたのだな・・と思いつつ・・
デジタル時代であり、以下に図を補強してみます・・

因みに、 プロジェクト・グーテンベルクProject Gutenberg:
http://www.gutenberg.org/files/782/782-h/782-h.htmもイメージは?? 


[ヨーロッパの主要図書館には300冊を超える写本が保存され、これはマルコ・ポーロの『東方見聞録』の4倍にあたるとも言われている。] by ミルトン『コロンブスをペテンにかけた男―騎士ジョン・マンデヴィルの謎 』(岸本完司訳)、11-12頁

内容(「BOOK」データベースより) 「英文学の父」と謳われ、シェイクスピアらに深い影響を与え、また、コロンブスに先立つ150年前に世界一周が可能と説き、大航海時代を導いた中世ヨーロッパ最大の文人マンデヴィル。他方、彼の著作はまったくのでたらめだとの誹りも高い。マンデヴィルとは何者だったのか。ここに気鋭のジャーナリストが自らその足跡を追って謎を解き明かす。答えは、思いもよらぬものだった。中世最大の文人の謎に迫る渾身の歴史ミステリー。

写本(MS)

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