森鷗外

明治時代の留学とは

森鷗外1862(文久2)– 1922(大正11)メモ

鷗外ドイツ留学3年の行程メモ

Wikipediaによれば
1884年「8月24日、陸軍省派遣留学生として横浜港から出国し、10月7日にフランスのマルセイユ港に到着。」
同月11日に首都ベルリンに入った。 最初の1年を ライプツィヒ(1884年11月22日–翌年10月11日)で ザクセン王国の首都ドレスデンでは、ドレスデン美術館のアルテ・マイスター絵画館にも行き、ラファエロの「システィーナの聖母」を鑑賞した。
次の滞在地ドレスデン(1885年10月11日–翌年3月7日)では、主として軍医学講習会に参加。
ミュンヘン(1886年3月8日–翌年4月15日)では、 よく観劇していた。
次のベルリン(1887年4月16日–翌年7月5日) 細菌学の入門講座をへてコッホの衛生試験所に入った。
同年7月5日、鷗外は にベルリンを発ち、帰国の途についた。ロンドンやパリに立ち寄りながら、7月29日マルセイユ港を後にした。9月8日横浜港に着き、午後帰京

上田敏1874(明治7年)10月30日 - 1916(大正5年)

留学のメモ

Wikipediaによれば 「1908年(明治41年)欧州へ留学。帰国後、京都帝国大学教授となる。」
鷗外に比べてあまりにそっけない記述
1907年から(?)1908年秋だった模様:一年半の海外留学(官費留学は?年)

翻訳詩

『於母影』おもかげ(明治22年)1889

鷗外留学2年後の刊
妹小金井喜美子等と

『海潮音』かいちょうおん(明治38年)1905

上田敏 留学前の翻訳である!
「遥かにこの書を満州なる森鷗外氏に献ず」
1902年から交流があった
日本の詩歌〈28〉訳詩集 (1979年)
A TREASURY OF JAPANESE POETRY

treasury 1【可算名詞】 a宝庫,財宝置き場. b〔知識の〕宝典; 名詩[文]集 〔of〕.
用例 a treasury of English words and phrases 英語語句宝典.

ドイツ:翻訳詩

日本においてリルケはまず森鴎外によって断片的に訳されたのち茅野蕭々『リルケ詩抄 』(1927年)によって本格的に紹介され、とりわけ堀辰雄、立原道造、伊藤静雄ら「四季」派の詩人に影響を与えた。

フランス:翻訳詩

日本においてフランスの詩は上田敏によって初めて「移植」された

森鷗外の翻訳詩集:『沙羅の木』大正4年

ドイツの抒情詩:口語自由詩
クラブント【Klabund】 1890‐1928
沙羅の木―詩集 (1980年) (名著複刻詩歌文学館―山茶花セット)

http://www.ohgai.co.jp/