【内容情報】(「BOOK」データベースより) 「パスタを食べることでイタリア人はイタリア人であることを自覚する」-。地域色の強いイタリアで、人々の心を結ぶ力をもつパスタ。この国民食は、いつ、どのように成立したのでしょう。古代ローマのパスタの原型から、アラブ人が伝えた乾燥パスタ、大航海時代の舶来種トマト、国家統一に一役買った料理書まで。パスタをたどると、イタリアの歴史が見えてきます。
麺にもソースにもイタリアの歴史と人々の夢がぎっしり! 日本でも身近になったイタリアの国民食パスタがその故郷でどのように生まれ、育っていったのかを、2000年以上におよぶ歴史をたどりながら紹介する。

この「パスタでたどるイタリア史」は課題図書になっています。「第58回(2012年度)青少年読書感想文全国コンクール」高等学校の部です。
池上さんというとあの「いい質問ですね」の池上さんではなくて、西洋史学の池上俊一さんです。
Wikipedia

岩波ジュニア新書

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/jr/toku/1111/500699.html

目次読書


はじめに 日本のパスタ事情
第1章 麺が水と出会うまで
第2章 文明交流とパスタのソース
第3章 貧者の夢とエリートの洗練
第4章 地方の名物パスタと国家形成
第5章 母と子の思い
第6章 パスタの敵対者たち
おわりに 歴史の中のパスタ
あとがき
イタリア年表
 
私としては第一章にある「小麦の歴史」あたりを抜き書きしておきます。
(p19より)「小麦の歴史」
パスタの原料(小麦)

東地中海沿岸に自生


紀元前9000〜7000年に、メソポタミアで栽培されるようになり、にし地地中海へと広まる
エジプト、ギリシャ、ローマの諸文明は、小麦の支えがあって栄えたといってもかまわない
(図1-1は古代エジプト人の小麦栽培)


中世になると事態は大きく変化
(ゲルマン人の侵攻と東ローマ帝国による再征服など)
5世紀から7世紀にかけてイタリアでは都市と能層の破壊、人口減少、農業生産が減る
10世紀ごろ農業復興
(とくにロンバルディア平原での復興)
三圃制(さんぽせい)農法(農地を三等分=秋に蒔き晩夏に収穫する冬小麦やライ麦の畑、春の初めに蒔き秋に収穫する春小麦や大麦や燕麦の畑、休耕地)


中世から近代の政策の中心・・小麦の需給を安定させること
西洋文明を作った人々の最も中心的なエネルギー源


小麦を主な材料とする パスタも、西洋文明の食の伝統にはるかに連なる

(p21より 「ギリシャ人がつたえたパンとオリーブ)
イタリア半島には紀元前二千年紀からインド・ヨーロッパ系民族が定住
紀元前1500〜1000年ごろ、やがてローマを建国するラテン人が住みつく

紀元前9世紀 起源の不明なエトルリア人がトスカーナに  エトルリア文明はローマに大きな影響を与えた 
紀元前4世紀にエトルリア人のお墓にパスタの器具の浮き彫りが描かれていたという


一方
紀元前15世紀以前から高度な文明(ミュケナイ文明)を築いていたギリシャ人は 紀元前8〜6世紀にエーゲ海周辺にポリスを形成
シチリア海岸と南イタリアの町に植民市(マグナ・グラエキア)をおく
パンの作り方をローマ人に教える
紀元前30年、ローマ帝国には329の製パン所があった(すべてギリシャ人が経営)
ギリシャがイタリアにもたらしたもう一つの貴重な食材=オリーブ油
紀元前8世紀ごろギリシャ人移民によってイタリアにもたらされた


図1-4(P30) 中世王侯貴族の食事などの図は、今までの下記著書でも見かけて記憶にあるものですね・・


  ジャック・ル・ゴフ『中世の夢』(名古屋大学出版会 1992年)

貧乏人のミネストローネ
ヤマザキマリさんの「それではさっそくBuonappetito!」にレシピがありましたね

池上さんの「パルタでたどるイタリア史」p157に、授乳の聖母の図像がイタリアで非常に好まれたこと、乳房の後はパスタでつながれ続け、子離れできないイタリア人・・という話がありましたが、ヤマザキさんの漫画を読んでも、その片鱗は窺えますよね・・
マグナ・グラエキア
http://ja.wikipedia.org/wiki/
半島のつま先のカラブリア州Reggio di Calabriaにある、 国立マグナ・グラエキア博物館所収

Pinax of Persephone and Hades from Locri Epizephiri
ぺルセポネとハデス:小麦の穂と ??
Wikimediaより the Museo Nazionale Archeologico at Reggio Di Calabria in Italy