『中世とは何か』を読む (後半)
『中世とは何か」
J.ル=ゴフ (著), 池田 健二 菅沼 潤 (翻訳), 藤原書店 (2005/03)刊
Avec la collaboration de Jean-Maurice de Monetremy,A la recherche du Moyan Age(中世を探し求めて),2003
ジャック・ル・ゴフ(Jacques Le Goff, 1924年1月1日 - 2014年4月1日)
池田 健二,菅沼 潤 訳
長くなったので、ページを変えこちらで続けます。 『中世とは何か』を読むページ前半はこちら・・
ベアトゥスの『ヨハネの黙示録注解』サン・スヴェール写本に描かれた挿絵。
第4のラッパが鳴り響き太陽と月の三分の一が落下する。
フランス国立図書館蔵,本文p190
口絵 図8 運命の車輪
運命の女神が車輪を回し、人間の権勢と富が上昇し落下する。
神の摂理に反する主題だが中世にはもてはやされた。
ランツベルクのヘラート『歓喜の国』の挿絵の模写。※
フランス国立図書館蔵,
美術、文学、言論のいたるところに、運命の女神が大きな車輪を回しているこのイメージが見られる。
重要なのは運命の車輪は節理の考え方と矛盾するが、おそらく矛盾があまりにも激しいため、けっして根本的に論じられることはなかった。(p195)
"Europe Mediterranean Catalan Atlas" by Cresques Abraham - 不明. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.
口絵 図9 カタロニア図
ポルトラーノ海図の一つで1375年にアブラハム・クレスケスが制作した。
地中海周辺を対象に、海だけでなく地上も描いている。
フランス国立図書館蔵
内陸の描写を含む大陸地図は、曖昧なまま。
13世紀の終わりにカタロニア人が海岸図法を開発し、海図の精度を高めていく(p203)
http://www.wpsfoto.com/items/D1369CATALAN ATLAS|カタロニア図|1375年|アラゴンのベドロ3世がフランスのシャルル5世に贈るためにクラスケスに描かせたもので、カタロニアのバルセロナで製作された。
アジア。東北端には巨大な山脈に囲まれて「マケドニアのアレキサンダーによって幽閉された」と記されたゴクマゴグの国が占めている。
コトバンク:Portolan charts 13世紀頃からイタリアを中心として作成された羊皮紙の海図。若干のコンパス方位盤 (コンパスローズ) を適宜の位置において 32方位の羅針方位線が引かれている。水深は記載してないが,海岸線や島が当時としては非常に正確に表わされ,港や岬の名称も詳しく書かれている。
※CRESQUES Abraham
ケレスケス(? - 1387 )
モンゴル時代のアジアの貿易ルートとマルコ・ポーロ(Marco Polo, c1254-1324)の中国へのルートが描かれている。
« Vézelay-Le village » par Daniel Villafruela. — Travail personnel.. Sous licence CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons.
ヴェスレ―の修道院は聖女マグダラのマリアの遺骨の所有を主張することで多数の巡礼を集め、サンティやご巡礼の起点の一つともなった,本文p212
Ⅴ 天と地において
"Catino absidale di S.Maria in Foro Claudio" di Hlodowig - Opera propria. Con licenza CC BY-SA 3.0 tramite Wikimedia Commons.
この章のタイトル画(扉絵)は 聖母子(ヴェンタロリ、サンタマリア・ディ・フォロ・クラウディオ教会) Santa Maria dei foro Claudio(Wikipedia)
source:
中世の人間
シャンパ^ニュの行政官(セネシャル)ジョアンヴィル公ジャンJean de Joinville(1225-1317)の『聖王ルイ史』(1305-1309)・・聖王ルイの、キリストが行っていた按手の動作(手を頭に置いて祝福する)を踏まえた覆うの動作・・中世の創造世界における触覚の重要性を証言するもの
地上の生への愛、天上の価値を地上にまで降ろして来ようと努める(天の「降下」)、神が身近にあることの幸福感は、中世の人間主義について考える理由になった。
(人間主義=人文主義(ユマニスム)という概念は普通ルネッサンスで用いられる)
ルネッサンスは中世の延長なのです。ルネッサンス期の思想家、芸術家に明らかなのは、人文主義の基盤の宗教性です。
伝記という幻想
私は伝記という幻想について語ったブルデューの立場です。
伝記が私の注意を引くのは、ある社会、ある文明、ある時代を解明するような史料群が、一人の人物の周りに結集するような場合のみです。 (p237)
反伝記『聖王ルイ』を書いてみよう手もよいと考えた。
ベルトラン・タヴェルニエとその映画<パッション・ベアトリス>(1987)について話した時の彼の指摘・・「結局、中世というのは映画に向いている。なぜなら中世には人間の心理への関心がないからで、また映画は人間心理を表現するようにはできていない。」「われわれは、存在を、声を、動作を、場所を、物を、物語を捉えますが、その心理をフィルムに収めることはできません」
真理は中世史家にとって無用の次元。(p240)
クレティアン・ド・トロワを理解するためには、クロード・レヴィ=ストロースを読んでいなければならない。
『獅子の騎士』・・森の人となった騎士の冒険。中世の森が書き込まれている象徴的。社会的体系に潰え、またこの時代の『真実』を捉えるにあたっれ人類学的視点がもたらしてくれるものの豊かさについて、この物語は見事な一例を提供している
<父の時代>から<子の時代>へ
中世において、人間は例外なく神と向き合っている。
キリスト教の中心には受肉がある。人の姿をした神であるイエス・キリストをまねることは、必然的に中世の人間主義の基礎になる。
教皇グレゴリウス一世が聖書の登場人物ヨブに注意を向けている。ヨブはキリストの予告。神を前にした人間の完全な無力。この無力と謙遜の中から神との絆を結びなおすのです。(p243)
中世初期の神。恐るべき父のイメージ。
三位一体
を思い描くことは容易でなかったであろうことは否定しがたい事実。
「信経」(クレド「私は信じる」)の中の一語 filioque(フィリオクエ=と子)という言葉をめぐって、東西教会が分裂(1054年)
ボエティゥスBoethius(480頃-524頃)はすでにキリスト教的な人格概念の基礎を築いていた。死司教座聖堂付属学校丘らも神学的考察が生まれるようになる・・聖書の再読
トマス・ア・ケンピス『イエス・キリストにならいて』(1420-1421)によって頂点に達する(p247)
12.13世紀にはキリストの素晴らしい図像表現がある、この時以来、中世の人間主義は明らかに身体との関係を変更します。それはもはや修道院生活の屈辱的な身体ではありません。神の似姿としての人間は、そのの苦難の身体を栄光の身体にかえることも可能。アッシジのフランチェスコのように、そしてそれには劣るものの聖王ルイのように。(p248)
戦争と正義
若いころマニ教にひかれた聖アウグスティヌスは、のちにはこれを嫌い\うようになった。ですから初期教会はすでに、善と悪とのはっきりした対立、そしてとりわけ被造物の中に悪が存在しうるという考え方を拒んでいた。(p248)
原罪と、神に黙認されたま王の働きかけが悪と罪の存在の問題の説明を与える。
カタリ派は12世紀に発達。悲観論の再来。一見キリスト教風の語彙と儀式を用いることもある別の宗教であると考える。
領主制と封土の体系、長子権。二男・三男の騎士たち・・キリスト教世界発祥の地における財産・・「正当な戦争」征服戦争を拒否、防衛戦争を認める・・略奪された領土を取り返す・・原題も、自分自身の正義の名のもとに旅立つ・・
防衛者の任命式のしきたりを整えていく
迫害の構造
「反自然の罪」
反ユダヤ主義」
エルサレムのキリスト教化の曖昧な性格
地上的な生
歓喜の笑いと嘲笑的な笑いの間には、皮肉が顔をのぞかせている。
皮肉というのは13世紀の聖職者によれば、言葉とは反対のことをいう
ミハイル・バフチンは終始一貫して笑うルネッサンスと涙を流す中世を対立させているが、この考え方は誤りです。(p263)
次第に身近で好意的なイエスの表象が数をましていく。
天使と悪魔
貧者(ポヴェッロ)フランチェスコの「天使のような」雰囲気
ギリシア語angelosアンジェ(神の使い)が語源
体系的な記述の対象となるのは9世紀以降
守護天使は、天の微妙な身分秩序の中に紀元千年ごろ現れてきた
聴罪司教の常駐代理人とみなすこともできる・13世紀ゴシック美術を代表する仏ツン喪彫刻がアミアンの「美しき神」とランスの「ほほえみの天使」であるのは偶然ではありません(p266)
悪魔(デアブル)はキリスト教が作りだしたもので、とくに中世初期に発展。語源はギリシア語で「悪口を言う人・惑わす者」diabolosから
福音書には更に悪魔(デーモン)登場するが、これは哲学者にはおなじみのギリシア的概念であるダイモンdaimonをうけたもので、ソクラテスによくでてくる概念んで、しばしば土地に結びついた名づけがたい「力」(守護神)という意味を持つ。
戦いの精神、中世には恐怖があるが、不断の警戒心、不安と希望がまじりあった不断の用心という言いかたをした方ががいい(p270)
聖霊崇拝
聖霊は古代以来、鳩の姿で表現される。美しい表現。
中世の人間主義の中では、動物たちが大きな位置を占めている。動物たちの象徴役割は非常に重要。ジャック・ヴォワズが示しているように、動物たちは一般に悪の側にいる。(p271)
神は創世紀においてアダムに動物体を名付ける力を与えた。
しかし、動物たちがアダムに従うわっけでは全くない。また、神を
鳥の形で想像することに困難を覚えていた。
鳩は、あらゆる聖霊出現の場面により強力で脚色された象徴的リアリズムを加える
聖霊=父と子の補助者と定義される
15世紀、新しい改革の信奉者(ルター、ツヴィングリ、カルヴァン)がローマ教会に批判的で精霊によるところの非常に大きな神学を発展させる
聖母信仰
三位一体では十分ではなかった、中世はそこに四つ目の位格、女性の人格を
組み込んだ(聖母マリア)
宗教改革はこの事実を見抜き、既存の教会の「マリア崇拝」を告発する
12世紀には救世主の母が死後腐敗を被ったはずがないという考え方が主張される(被昇天)
14世紀になると「無原罪の音宿り)という問題を巡って激しい論争が起こった
キリスト教世界に古くからありビザンティンの東方正教でとても活発であったマリア崇敬は、11世紀に盛んになった
ダンテは中世を魅了する逆説のすべてをこう約している、 「母なる処女、わが子の娘。賤しくして、また何よりも尊く・・・」(『神曲』平川裕弘訳)
そして死が…
中世には、人はずっと若く、ずっとあっけなく死んでいました。
来るべき審判の待機によって時間の中での方向性を与えられているこの文明は、終末に支配されていた。
古代は、死者とその穢れを、郊外の街道沿いへと追いだしていた。「ところがキリスト教では4世紀以降、死者たちは教会のすぐ脇の聖遺物に近いところ、そしてやがては教会の内部にいる。死者の都市化。(p281)
14世紀に、地獄への恐怖が後退する。それは死の瞬間そのものの上に固定される。どくろの図像が目立つようになる。飢饉、ペスト、戦争の被害の止まるところを知らなかった全体的な危機の時代。死が、ある意味で天の価値の地上への降下の埋め合わせとして、地獄から地上へと昇ってくる。音楽と舞踏が人の心を慰め、釣り合いを取るようにして、かってなかったほどに天国をい地上へともたらす。中世は音楽と歌の世界。
ジョアンヴィルJean De Joinvilleが著した『聖王ルイ史』の14世紀の写本。第7回十字軍での聖王ルイの言行を描いている。
仏蘭西国立図書館蔵 ,本文p216
"Seventh crusade" by Guillaume de Saint-Pathus, Vie et miracles de Saint Louis - http://www.usu.edu/markdamen/1320Hist&Civ/chapters/15CRUSAD.htm. Licensed under Public Domain via Wikimedia Commons.
神と人が絆を結ぶ場面において神はしばしば「神の手」で表される,6世紀の『ウィーン創世記』Wiener Genesisは族長アブラハムに現れた「神の手」を描いている。
オーストリア国立図書館蔵,本文p243
"Abbaye Ste Foy à Conques (05) - Le christ en majesté" by Daniel Villafruela. - 投稿者自身による作品.. Licensed under CC 表示-継承 3.0 via Wikimedia Commons.
紀元千年以降キリストは威厳ある王の姿で表現されるようになる。12世紀前半にコンクのタンパンに刻まれた審判者キリストはその典型である。コンク,サント・フォア教会,本文p246
12世紀後半から神と人との関係が変化し、13世紀に梁楼的な人体を備えたキリストが表現されるようになる。美しき神の出現である。
シャルトル,ノートルダム大聖堂Cathédrale Notre-Dame de Chartres, ,本文p248
※http://jun-gloriosa.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-c684.html
神秘的でありながら身近でもある13世紀の微笑みの天使。ランスの扉口で聖母に受胎を告知する大天使ガブリエルである。ランス,ノートルダム大聖堂 ,本文p267
« Autun saint lazare chapiteau 22 » par Gaudry daniel — Travail personnel. Sous licence CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons.
家すは砂漠での修業の間に悪魔からサンド誘惑を受ける。子の柱頭の浮彫は第2の誘惑を知りぞ9ける瞬間を表現している。オ―タン,サン・ラザール大聖堂Cathédrale Saint-Lazare d'Autun ,本文p268
使徒言行録に記された聖霊降臨の場面では、イエスが使徒たちに下す聖霊は炎の下で表されている。クリュニーAbbaye de Clunyの『読唱集』,フランス国立図書館蔵 ,本文p272
完全な遠近法による表現で知られるマザッチオマザッチョ(1425-1426)のフレスコ画だが,実際には聖霊の鳩の姿は描かれてはいない 。フィレンツェ,サンタ・マリア・ モベッラ教会,本文p275
10曲ごとに挿入された美しい挿絵には人々の苦難や病気の際に現れて救いを授ける聖母の姿が描かれている。エル・エスコリアル EL ESCORIAL図書館蔵 ,本文p278
※http://www.ne.jp/asahi/bianco/music/contents/disc0/cantigas.html
"EscorialBiblioteca" by Xauxa Håkan Svensson - 投稿者自身による作品. Licensed under CC 表示-継承 3.0 via ウィキメディア・コモンズ.
"Cathédrale de Chartres - portail 2" by Dinkum - 投稿者自身による作品. Licensed under CC0 via Wikimedia Commons.
聖母信仰が高まるにつれて,12世紀末からゴシックの大聖堂の扉口には聖母の昇天や戴冠の図が頻繁に表現されるようになる。シャルトル,ノートルダム大聖堂 ,本文p277
Ⅵ エピローグ
この章のタイトル画(扉絵)は 再臨するキリスト Teofanía de la segunda venida
ベアトゥスの『ヨハネの黙示録注解』サン・ミリャン写本、San Millán de la Cogolla エル・エスコリアル図書館蔵
San Millán de la Cogolla
「サン・ミリャン修道院のベアトゥス写本」 ファクシミリ版027 ■http://www.yushodo.co.jp/book/BeatusoftheCorsiniLi_2/スペイン国立図書館所蔵の至宝
8世紀スペインの修道士ベアトゥスは黙示録の終末のヴィジョン、審判・復活・救済の物語を、壮大で幻惑的な言葉と、鮮烈な色彩、力強いフォルム、生命力と躍動感に溢れる挿絵群で説き明かした。
原本は失われているものの、「ベアトゥス写本(Beatus)」と呼ばれる多くの写本が製作され、中世の写本装飾の歴史において独自な位置を占めている。現在34点のベアトゥス写本の存在が確認されている。
スペイン国立図書館に所蔵されているサ ン・ミリャン修道院のベアトゥス写本は、その中でも最も古い時代のものである。
■Beatos de San Millánhttp://www.vallenajerilla.com/beatoemilianense/index.htm
アラン・ゲローは中世の中に今日の始まりを探そうとするあらゆる試みを批判した。私自身も中世を探求しながら、強い異国感情(エグぞティスム=ゲローのことばでいえば他者性(アルテリク)を持ちました。ゲローの誤りは、継承と変化あるいは断絶との間の関係をうまく説明していない。解体した中世が数多くの遺産となって残っている。文明とはj一つの運動です。同一性と他者性をどのように共存させたらよいのか。
ヨーロッパ建設の中に中世が占める位置について考えながら、私は跡付け、定義しようとしている。
キリスト教が周辺的な重要性しかもたない民主主義・・
諸機構の非宗教性、すなわち中立性、そして信教の自由。
キリスト教の中心は今やヨーロッパにはない、。中世の初めにヨーロッパがその中心でなかったのと同様に。
ノルベルト・エリアスの表現を借りるなら、われわれの日常生活にまで残る「風習の文明」
中世初期の人間、とりわけ教会関係者たちが公言する新しいものに対する嫌悪と、中世人たちの革新する能力との間の対照には、今でも驚かされる
黙示録に着想を得た素晴らしい作品群。スペインのリエバナのベアトゥスの『黙示録注解』(8世紀)に挿入された写本挿絵を見ながら、あるいはアンジェの城のタペストリー(14世紀)を見ながら、私はそこに激しい恐怖の繁栄を見ます。しかしそれ以上に、そこに感じらら得るのは、存在の不安というよりも芸術上の大変化なのです。(p295)
その心をかすめもしなった進歩という概念を中世の中の人間にの中にみようなどとは全く考えていませうう。それでも、感じられるのは、あらゆる者たちがまるで進歩を信じていたかのように行動したということ。
中世社会の文明活動が誤りを犯していた点、
組織化の構造の裏側として、長く続く迫害の構造が生まれる。
純粋さを守り、安定を乱すあらゆるものから、キリスト教世界を保護しようとした。
聖ボナヴェントラと聖トマス・アクィナスは、西洋中世の際絵以記に同時に現れる。
希望についての確信(最後まで耐え抜けば神によって約束されている至福)、希望は神学的な徳である。希望は中世的の本質的な遺産。
シトー会修道士ハイスターバッハのカエサリウス『奇跡についての対話』(ディアログす・ミラ苦労無)の登場する高利貸し・・中世文明の最も奥深い特徴のうちのいお靴g化が見られる。象徴の使用、イメージによる表現、時間の支配、アダムとエバ以来の頼の男女。救済の作用。希望を求め続ける心。・・これを読んだ私を驚かせ、今も私の驚きの一つであり続けている一文「煉獄とは、希望である。」
私はこう言いたいと思う。中世とは、希望であると。(p299)
« La Bête de la Mer » par Kimon Berlin, user:Gribeco — Inconnu. Sous licence CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons.
,本文p295
La Bête de la mer
(Tapisserie de l'Apocalypse):14世紀、シャルル5世の画家だったジャン・ド・ブリュージュがヨハネの黙示録を題材に描いた下絵をもとに、ニコラ・バターユが制作したもの。現在アンジェのアンジェ城が所蔵。Wikipedia
ル=ゴフがわれわれに立ち会わせようとしているのは、文明としての「西洋」が誕生する様なのである。「中世とは何か」それは。「西洋とは何か」という問いでもある。
索引
子どもたちに語るヨーロッパ史 (ちくま学芸文庫)
絵解き ヨーロッパ中世の夢(イマジネール)
lastModified: 2015年