本居宣長

国語・国文学 

   本居宣長(もとおりのりなが)(1730-1801) の学問へのメモ

国語・国文学メモ

   反伝統歌学の流れ
木下長嘯子きのしたちょうしょうし(1569-1649) (嘯=うそぶく)秀吉の北政所の甥:Wikipedia(木下勝俊)

下河辺長流しもかわべちょうりゅう (1626-89)

契沖けいちゅう(1640-1701)僧侶
徳川光圀から委嘱を受けた『万葉代匠記』(1690)をはじめ、 その学績は実証的学問法を確立して国学の発展に寄与し古典研究史上、時代を画するものであった。
『和字正濫抄』を著した。これに準拠した表記法は「契沖仮名遣」と呼ばれ、後世の歴史的仮名遣の成立に大きな影響を与えた。 : Wikipedia

国語・国文学メモ

   古文辞派
 荻生徂徠おぎゅうそらい(1666 - 1728)
「朱子学に立脚した古典解釈を批判し、古代中国の古典を読み解く方法論としての古文辞学(蘐園学派)を確立した 」
「吉宗に提出した政治改革論『政談』には、徂徠の政治思想が具体的に示されている。これは、日本思想史の流れのなかで政治と宗教道徳の分離を推し進める画期的な著作でもあり、こののち経世思想(経世論)が本格的に生まれてくる。」
「 落語や講談・浪曲の演目である「徂徠豆腐」は、将軍の御用学者となった徂徠と、貧窮時代の徂徠の恩人の豆腐屋が赤穂浪士の討ち入りを契機に再会する話。」:Wikipedia

国語・国文学メモ

  
 荷田春満かだのあずままろ(1669 - 1736)伏見稲荷の神官の家
「古典・国史を研究して復古神道を提唱。『万葉集』『古事記』『日本書紀』や大嘗会の研究の基礎を築き、賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤と共に国学の四大人の一人に数えられた」:Wikipedia

 賀茂真淵かものまぶち(1697 - 1769)浜松の神官の家
「古典・国史を研究して復古神道を提唱。『万葉集』『古事記』『日本書紀』や大嘗会の研究の基礎を築き、賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤と共に国学の四大人の一人に数えられた」:Wikipedia
主著『万葉考』:万葉集を「ますらをぶり」と説く

国語・国文学メモ

   堀景山ほりけいざん元禄元年(1688) - 宝暦7年(1757年10月31日))
本居宣長の 漢学の師
「朱子学者であったが、古文辞派や国学にも精通しており、荻生徂徠と親しく、またに契沖の著書の刊行にも尽力した」 :Wikipedia

国語・国文学メモ

   本居宣長の主著:『古事記伝』
1767年刊

国語・国文学メモ

   本居宣長の文学観:「物のあはれ」論
1736年脱稿『紫文要領』
「もののあはれ」を初めて体系的な形で提唱したことで知られる。
宣長が34歳のときに完成した本書は、宣長による最初のまとまった『源氏物語』論であるにもかかわらず、長年の考察の末68歳になってまとめられた『源氏物語玉の小櫛』と比べても論旨が変わる部分はほとんど無い。:Wikipedia(に項目が立てられている)

国語・国文学メモ

 

もののあはれ//こちらもWikipediaに項目が立てられている//江戸時代には、幕府の保護、奨励した儒教から生まれた「勧善懲悪」の概念が浸透し、過去の平安時代の文学に対しても、その儒教的概念や政治理念を前提にして評価され、語られた時期があったが、この本居宣長の「もののあはれ」の発見はそういった介入を否定し、文学作品の芸術的自律性という新しい視点を生み出した

国語・国文学メモ

和辻 哲郎わつじてつろう (1889- 1960)
  「もののあはれ」解釈の一例:Wikipedia
日本精神史研究 』(岩波書店、1926年。改版1971年)
ドイツ初期ロマン派の基本的心的態度を、「無限なるものへのあこがれ」と特徴づけ、ニーチェやキルケゴール研究者として知られる和辻哲郎は、本居宣長の説いた「もののあはれ」論に触れて、「もののあはれをしる」という無常観的な哀愁の中には、「永遠の根源的な思慕」あるいは「絶対者への依属の感情」が本質的に含まれているとも解釈している

国語・国文学メモ

伊藤仁斎(1627 - 1705)
江戸時代儒学は、伊藤仁斎以来、人生論の探求。(中国研究ではない。非体系的)
人間学としての近世儒学の最初の達成が伊藤仁斎の『童子問』
佐藤一斎の『言志四録』で近世儒学は完結した(by谷沢永一) (772- 1859年10月19日))
「漢学」?

国語・国文学メモ

「からごごろ」
  「漢意」 

漢意(からごころ、唐心の意)は、本居宣長が提唱した思想概念・批評用語の一つ。文学を儒学的(特に朱子学的)なドグマから開放する極めて先鋭な文学意識であり、後世の国文学研究に大きな影響を与えた。だが、宣長はこうした発想を日本尊重・中国文化排斥の方向に導き、「やまとごころ」と「からごころ」の対比によるその思想体系を築き上げた(Wikipedia)


「漢意といふものは、そもそも我我 にとって一体何なのだらうか」· 長谷川三千子『からごころ: 日本精神の逆說』中央公論社 (1986/06)

国語・国文学 Wikipediaまとめメモ

本居宣長(1730- 1801)
江戸時代(1603–1868)後期の人

宣長の代表作には、約35年を費やして執筆された『古事記』註釈の集大成『古事記伝』と『源氏物語』の注解『源氏物語玉の小櫛』、そして『玉勝間』、『馭戎慨言(ぎょじゅうがいげん)』などがある。
日本固有の情緒「もののあはれ」が文学の本質であると提唱した。大
昔から脈々と伝わる自然情緒や精神を第一義とし、外来的な儒教の教え(「漢意」)を自然に背く考えであると非難し、中華文明や思想を尊重する荻生徂徠を批判した。
しかし、徂徠の学問の方法論である古文辞学からは多大な影響を受けていることも指摘されている。(Wikipedia


国語・国文学 メモ

本居宣長記念館 (http://www.norinagakinenkan.com/
「今月の宣長さん」


国語・国文学 メモ

小林秀雄著「本居宣長」(1977年刊) 
いづれの言葉であったか、「膨大な本居宣長の著作のアンソロジーとして読める」とあった(笑)
とにかく読むべき時がきたのであった・・