高見順

・・ たかみ じゅん・・
Wikipedia: 1907年(明治40年)1月30日 - 1965年(昭和40年)8月17日
食道癌で58歳で8月におなくなりだったのですね。

ここで著作権法の復習ですが、亡くなった次の年の1月1日から50年ですから、高見順さんの詩は一部割愛で、引用・・・


今年、某氏が同じく食道癌に。今は内視鏡術等があり、あまりダメージがなく済んだようだ。その分、こんな覚悟(?!)はできていない ・・

死を前にした静かなる諦念であるか、達観であるか。
「ありがたきかな老年」という年ではなかったのに・・


「高見順 闘病日記」 (同時代ライブラリー)日記文学の傑作であるらしい。『高見順日記』は作家高見順の代表的な著書という。

あの永井荷風(1879 - 1959)のいとこだったとか。 こちらの高見順は偉い政治家の「私生児」というくくりだが、 ・・
文士=日記!

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この「最後の文士」の本のち、どれを読んでいたのか記憶にない。 かろうじて読んだ記憶があるのは、伊藤整の『日本文壇史』と混同していた『昭和文学盛衰史』(「プロレタリア文学」)(-_-;) 

こちらの方々のブログ面白かった。

高見順「生命の樹」に関する話

○高見順原作、豊田四郎監督東宝1962年作品(森繁久弥・池部良・植木等・西村晃出演)「如何なる星の下に〜〜愛したくないダメ男たち」に関する話

勁草書房 「全集」・「全日記」目次

文春写真館http://hon.bunshun.jp/articles/-/797

帰れるから 旅は楽しい

帰れるから
旅は楽しいのであり
旅の寂しさを楽しめるのも
わが家にいつかは戻れるからである

 この旅は 自然に帰る旅である
帰るところのある旅だから
楽しくなくてはならないのだ
もうじき土に戻れるのだ
おみやげを買わなくていいか
埴輪や明器(めいき)のような副葬品を


 大地へ帰る死を悲しんではいけない
肉体とともに精神も わが家へ帰れるのである
ともすれば悲しみがちだった精神も
おだやかに地下で眠れるのである
ときにセミの幼虫に眠りを破られても
地上のそのはかない生命を思えば許せるのである


               死の淵より (講談社文芸文庫)

「高見順日記」 「敗戦日記 新版」が中公文庫で再刊)
敗戦日記 (中公文庫BIBLIO)

勁草書房に「全集」、「全日記」(Wikipedia:勁草書房)

『如何なる星の下に』(1939)

高山樗牛 「如何なる星の下に生れけむ。われや世にも心よわき者なるかな。」 
※樗牛全集 第5巻 想華及小品   「わがそでの記」

『わが胸の底のここには』
(1949)
島崎藤村「我が胸の底のここには言い難き秘事住めり」
いずれも本歌取りのようなタイトル